なぜ日本の電機業界は没落しつつあるのか?

近年、日本の電機メーカの国際市場における存在感は以前と比べて格段に薄くなった。軽薄短小の最前線を日本メーカが走っていた時代は去り、韓国や台湾のメーカがそれに取って代わりつつある。かつて、NHK特集で「電子立国」とまで表現された日本は、どうすれば電機分野における活力を取り戻すことができるのか?

以前から、日本の電機メーカは数が多すぎると感じていた。東芝、日立、NEC、富士通、松下、ソニー、シャープ、サンヨー…特定の領域に強みを持つ会社も多いが、いずれも基本的になんでもやる「総合電機メーカ」だ。国内で育つ技術者の数は有限である。有限の人材が多くの会社に散らばれば、結果として重複した研究開発を行うことが増える。競争が行われるのは結構なことだが、国内電機メーカの数が多すぎることは、結果として日本勢の総力を削ぐことになりはしないだろうか?

特定の会社に言及することは避けるが、上記電機メーカのうち3社程度は合併などの形で実質的に退出するのがふさわしいのではないかと考えている。いずれの企業においても、特定分野において内に抱え込んだ人材や知的財産には目覚しい部分があるので、それらをうまく生かすことは必須である。そして、メーカ数を調整した上で、各社とも、自らが強みを持つ領域でトップを目指す戦略をとるべきではないだろうか。そういった意味で、例えば東芝の「選択と集中」という事業の方向性は高く評価できる。

…といったことを以前から考えていたのだが、最近、日経ビジネスオンラインのコラムで宋文州氏が類似の意見を述べられているのを見つけ、必ずしも私だけの考えではなかったのだと勇気付けられてこのエントリを書いた(へたれです)。無料登録をしないと記事が読めないので、少しだけ引用させて頂く。

一方で、日本の家電メーカーは、市場が成熟化して久しいのに、こういっては申し訳ないですが、三洋電機のような会社までいまだに事業を続けています。白物家電は技術革新で確実に性能や品質はよくなっています。さらに省エネルギー、環境対応で着実に買い換え需要を掘り起こしています。情報家電という新しい分野も広がっています。

 それでも日本の家電メーカーの収益力が盤石とは言えないのは、成熟市場の国内で過当競争が続いていることが大きな要因と思います。

(宋文洲の傍目八目 「我が社に“こだわる”ことはない」)

引用文中のメーカ名は宋氏の意見であって私の意見とは関係がなく、私がこのメーカに対して退出すべきであると考えているわけでは、必ずしもないことを追記する。

最近、様々な業界での大型M&Aの案件が目に付くが、電機業界でも同様の動きが起こることを期待する。

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投資の諫め

最近ちょろっと見たblog記事にショックを受けた。

お金については、管理や理解に労力を使うより、その労力で仕事をした方がよっぽど多く手に入る。だから、さぼらずにまずは仕事をしてみよう。
(404 Blog Not Found 「リテラシーの耐えられない軽さ」)

確かにその通りだ。500万円までくらいの資金があったとして、投資の仕方に頭をひねったり勉強したりするより、その努力を(現在もしくは将来の)仕事に関連するスキルアップや仕事そのものに向けたほうがよほど所得の最大化に貢献する。

まぁ、投資に関して勉強したり、身銭を切って「勉強代」を払うことを通して、とても面白い対象である経済に触れたり学んだりできることは、それはそれで価値があることだとは思うけれども。

追記: 敬体の文章に飽きたので常態にすることにしたのでありますのですます。常態のほうが表現の制約が少なくてすばやく文章が書けるし、4月からリーマンの末席に加わることになった私にとって文章を書くスピードは早いに越したことはないのですます。

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「ごめんなさい、もうしません」何を謝るかが問題だ

子供のころ、「ごめんなさい」と「もうしません」はセットでした。「ごめんなさい、もうしません」と言ったあとに似たようなことを繰り返すと、ひどく叱られたものです。子供であれ大人であれ、自分の過去の行動について謝るのなら、その行動に至る判断のどの部分について「もうしません」と言うのかは大事なポイントだと思います。

安部首相の慰安婦問題に関する発言が波紋を呼んでいるようです。慰安婦問題についてはここでは直接論じませんが、思い知らされるのは、先の大戦における日本の戦争責任に関する議論・糾弾は終っていない、「戦後」はまだ続いている、ということです。

戦後が終わらない理由について、ある人は「日本側の謝罪と賠償が足りない」と主張し、ある人は「中韓の洗脳教育や反日プロパガンダが原因だ」と言います。いずれの発言も部分的には真実を含んでいると思いますが、いずれにも全面的には同意しかねます。

戦後が終わらない本質的な原因は、先の大戦に至るまでの国家としての行動のどこに関して「ごめんなさい、もうしません」と日本が言っているかがはっきりしないことだと私は考えます。先の大戦について、政府の偉い人による謝罪が何度もあったようですが、発言内容を見ると結果に対する謝罪ばかりで、では、何を「もうしません」なのか、私には全くわかりません。日本が何を謝っているのかはっきりしないのでは、また同じことを繰り返すのではないかと不信感を抱かれても仕方がないとも思います。また、中韓が政治的駆け引きとしてわざと戦争責任を叫びたてているという側面もあるでしょうが、戦争責任の糾弾が中韓にとって駆け引きの手段になり得るのは、日本国内にそれによって揺さぶられる層が存在するからです。いずれにしても、状況を改善するためには、何を「もうしません」なのかについての国内の大掴みなコンセンサスが必要だと私には思えます。しかし、残念なことに戦後 60 年を越えた今もこのコンセンサスは全くといっていいほど存在しないようです。

こうした現状を引き起こしているのは、歴史を直視し、過去の日本の行動の是非を客観的に議論することを我々が避けてきたことです。自分の主張に合う言説のみに耳を傾け、全肯定か全否定のどちらかに落ち着いて思考停止してしまっている点ではウヨもサヨも同じようなもん、お花畑でお友達です。自戒も含めて書きますが、歴史的状況を鑑みた上で日本の行動のどこは仕方がなく、どこがまずかったか、きちんと主張・議論をできる人がどれだけいるでしょうか?決して高いレベルの知識 (自分にも全くありませんww) を求めているわけではありませんが、後始末をつけないままに先の大戦が忘れ去られようとしている国内の現状に危惧を覚えます。戦争の話をタブーにせず、議論しないと「戦後」は終わりません!

結果的に大敗し、隣国との間に遺恨を残したのですから、日本の行動のどこかに問題があったことは疑いようがありません。ですが、過去の日本が徹頭徹尾邪悪であったとも言えないでしょう。「戦争に至るまでの行動 A は当時の国際情勢を考えれば致し方なかった。けれども行動 B はいかにもまずかった。こういうことは繰り返さないように今後の考え方を~のように変えようと思う」といった内容を、国民の合意に基づいて政府首脳が言えるようになったときが、戦後の終わりが始まるときであるように、私には思えます。

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いまさらですが、女性専用車両は変です

電車での通勤通学というものをこれまで一度もしたことがなかったんですが、最近わりと電車に乗る機会が増え、女性専用車両というやつを改めて目にすることになりました。

あ、参考までに、私は男性です。

もう大分前から導入されていて、いつのまにかどの鉄道会社でも常識になっているようなので、日常的に電車に乗っている人は見た目的にも感覚的にもかなり慣れてしまっていると思うんですが、あれ、相当に変だと思います。

まず、場所がおかしい。JRと関西の複数の私鉄で見たところでは、ホームへの階段付近の出入りしやすい場所に女性専用車両が止まる場合が多いようです。また、電車が混んでいる時間帯でも女性専用車両は比較的すいているようです。大変失礼ですが、性犯罪の標的になる可能性が極めて低そうな年齢の方が女性専用車両に多くいらっしゃるのを見ると、ただ空いてるから乗ってるだけじゃないか?と思えて仕方がありません。どう考えても男性差別です。

私は、決して性犯罪の被害者の心的苦痛を軽く見ているわけではありません。ですが、痴漢でもなんでもない普通の男性がどうして乗る車両を制限されるという不利益をこうむらなくてはならないのか、私には理解できません。乗る上で不便な上、頭から犯罪者扱いされているようで不快に感じます。

また、最近は痴漢冤罪のニュースも頻繁に耳にします。最近映画にもなってましたが、こと痴漢に関してのみ、なぜか推定無罪の原則が適用されないとのこと(素敵な法治国家ですねww)。正直、冤罪で人生狂わされる可能性があるというのは、ちょっと怖いです。女性専用車両によって、女性は痴漢被害を避けることができますが、女性専用車両があっても男性は痴漢冤罪被害を避けることができません。おかしな話です。

というわけで、たぶん誰かが既に言い出しているでしょうが、痴漢冤罪を避けたい男性のための男性専用車両の導入を提案します。普段の乗客の男女比と男性専用車両・女性専用車両の数の比を同じにすれば、混雑度の差は解消されるし、痴漢被害と痴漢冤罪被害の両方を避けることができるというのは大きなメリットです。

…まぁ、女性ばっかり乗ってる車両と男性ばっかり乗ってる車両が連なって走っていく光景は、相当に気持ち悪そうな気もしますが……

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ソースネクスト ウィルスセキュリティとcygwinが併用不可能な問題

最近、ノートPCを新しくセットアップして、常のごとくcygwinやMeadowなんかをインストールしたら、cygwinのopensshが動かない問題に行き当たりました。

% ssh example.com

とすると、以下のようなエラーメッセージが出てsshコマンドが落ちてしまいます。

_cygtls::handle_exceptions: Error while dumping state (probably corrupted stack)
Segmentation fault (core dumped)

最初はcygwin側の問題かと重い、opensshやopensslのバージョンを古くしてみたり、いろいろ試したんですが、一向に解決しません。調べてみたところ、どうやら既にインストールしていたソースネクストのウィルスセキュリティが原因だとわかりました。

ファイアウォールを無効にするだけではだめで、ウィルスセキュリティをアンインストールしないとcygwinが正常に動作しません!sshコマンドの他、sshdや X Window も正常動作しないようです。

しかも公式サイトには情報がなく、個人の問題報告しか手がかりがありません。まったく腹の立つ話です。

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人の命には値段をつけなくてはいけない

土木関連のコンサルタントの仕事をしていた友人と話をする機会がありました。最近、長野県や滋賀県などでダムの見直しが起こっているようですが、やはり市民の生命や財産を守るためにはダムが必要なこともあるようです。環境保全の観点からは望ましくないとは思いますが、やむをえずダム建設をしなくてはならない場合もあるのではないかと思います。

ダムを作る場合には、河川工事に要求されるコストを誰が払うのかという部分がひとつの問題のようです。河川流域の住民全体の安全を目的とした事業の場合には流域民に目的税という形で受益者負担を求めることも考えられるが、少数の住民の安全を守るために莫大なコストを払わなければならないこともあるとのこと。立ち退きを強制するわけにはいかないし、工事費用を少数の住民に請求するのは無理がある。しかし行政としては住民の安全を守る責任もあるし、場合によっては国や自治体全体から集めた税金を投入せざるを得ない…難しいですね。政治をやってる人も大変です。

さて、こうした場合には、当然、ある程度のリスクは許容し、コストを現実的なレベルに抑える必要が出てきます。行政がやらないといけない事業は河川工事だけではありませんから、限られたお金をいろいろな種類の事業に回そうとしたら、「いくらのお金をかければどれだけの生命、財産が守れるのか」という問題を考えざるを得ません。実際の世界においては、リスクの程度と対策費とのアンバランスが多く見られますが、これはお金の無駄遣いなだけでなく、対策費の不足した領域で被害が拡大する場合を考えると、ときには生命に関わる問題です。

行政側は、お金の配分をする際に費用対効果は必ず考えるはずで、配分に大きなアンバランスが生じるのは、マスコミや世論の圧力による場合が多いように感じられます。BSE なんかはその典型で、低いリスクに高い金をかけるのは無駄を通り越して罪悪です。100 % の安全を求める態度は非常に危険です。なぜなら、安全性を 100 % に限りなく近づけるには無限大のコストがかかるからです。

池田信夫氏はこうした問題について、blog 上で以下のようにコメントしています。

リスク評価を歪める最大の原因は、事件・事故を興味本位で取り上げるマスメディアのバイアスだが、それにあおられて人気取りのために過大なセキュリティを求める政治家と、保身のためにコストを考えないで闇雲に高いセキュリティを実装させる官僚、そしてそれを食い物にするITゼネコンが、問題をさらに悪化させている。
(池田信夫blog「セキュリティはなぜやぶられたのか」)

私は、歪んだリスク評価が用いられてしまうことの根本的な責任は市民にあると思います。楽観的に過ぎるかもしれませんが、市民が大まかにでもリスクとコストのバランスに対する感覚を持ち、いいかげんに恐怖心をあおるマスコミを批判すれば、マスコミももうちょっと空気を読んでくれるようになるのではないかと思っています。

結論。当たり前の話ではありますが、 100 % の安全は絶対にありえないということを私たちは改めて意識する必要があります。リスク管理は必ずしも期待値だけで考えていいものではないと思いますが、将来の死者を1 人減らすためにいくらまでお金をかけられるかという考え方を基本にしないと人命に関わるリスク管理を進めていくことは困難です。

社会通念では通常悪とされる考えですが、私たちは「人の命に値段をつけなくてはならない」のです。できるだけ具体的な数値として。

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タスク管理のストレスを軽減する"GTD" on howm

GTD (Getting Things Done) と呼ばれるタスク管理術があります。短くいうと、マルチタスクが日常的なナレッジワーカーが集中力を維持して効率よく仕事を進めるためのメソッド、といった感じになると思います。

前からタスク管理が下手で、やるべきことが複数たまっていると夜いろいろ思い出して眠れなくなってしまう (まずい!) ことがあったので、何かいい方法ないかなー、と思っていました。 ITMedia の記事を目にしたのがきっかけでここ1月半ほど試してみていますが、なかなかいいです。

実際に試してみるには、ITMedia のまとめ、ただただしさんの日記が参考になりました。訳が悪いと悪評高い原著も買ってみたのですが、評判どおり読みにくく、しかも文章の密度が低いです。私はまだ読んでいませんが、 Life Hack Pressの田口元氏の記事の評判がいいようなので、こっちを買ったほうがいいかもしれません。

さて、このGTDというやつがどういう考え方で、何の役に立つのか、ですが、個人的には以下の 3 点がポイントだと思ってます。

  1. プロジェクト (達成したい目標)、ToDoを全て頭の外へ書き出す。ToDoは「1ステップの行動で完了できるもの」に限り、それ以外はすべてプロジェクトと定義する。
  2. プロジェクトのリストは定期的に見直す。
  3. 2分でできることは今やる。

気になることを全て書き出しておくと、プロジェクト管理はかなりやりやすくなりました。週1回、プロジェクトなどのリストを見直すことになっているんですが、あんまりまじめにはやってなくて、ToDoリストがすいてきたら見直す感じにしてます。

ちょっと不満があるのは、 ToDo リストを順に片付ける方式だと期限がきっちり決まってるタスクとそうじゃないタスクがごっちゃになることです。このへん、運用法をもうちょっと考えていく必要があるかも。

紙ベースや Remember the MilkTaskPad なんかでやってる人が多いみたいですが、私は howm でやってます。さくさく感を重視するほうなので、レスポンスが1歩遅れるのがちょっとうざいですが、 howm は機能的にはすごく好きです。

mhcを昔から使ってるんですが、この記事を参考に、以下のように設定して howm と mhc のディレクトリをいっしょにしてます。

(setq howm-directory "~/Mail/schedule")

今のところ、mhcのスケジュールにhowm形式の行を手書きで書き込んでるのがかっこ悪すぎですが、そこそこ便利に使えてます。

today --format=howm というやつをきちんと活用すればもうちょっとマシにできそうなので、暇が出来たらいじってみようかな、と。

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YouTube + BBC

YouTubeとBBCが連携して、BBCのニュースクリップなどのショートコンテンツをYouTube上で配信するとのこと。BBCのニュースリリースはこちら (英文)。

英語の練習を兼ねてよく BBC Radio のネット配信 (好きなのは channel 4) を聞いてるので、個人的には非常にありがたい話です。国営放送がネット配信を強化することは非常にいい感じだと思います。民放と違って、収入がCMに依存しないので、コンテンツがどういう形で視聴されるかに民放ほど気を使う必要がないですしね。

生命とか、映像の世紀とか、昔のNHKスペシャルでけっこう好きなやつがあって、こういうのネット配信で見れたらうれしいな、とずいぶん前から思っていました。NHKもそういう方向に向かってはいるようですが、法整備や著作権処理など、かなり面倒なようで、素人目には進捗は遅々としてるように見えます。法整備を中心にスピードアップを期待したいなー、と思っていたところの今回のニュースだったわけなんですが、なんでこういうことをこんなに素早くできるんでしょうね?

知り合いのイギリス人の留学生が、日本のシステムは超官僚的だというようなことを言ってました。案外国内の規制や法律の運用はけっこうゆるいのかもしれません。また、国営放送の中の人が頭やわらかいことも、今回のようなことをやるには必要条件だと思います。そのへん、NHKにはあまり期待できないかもしれませんが…総務省もNHKも、がんばれ!!

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ゲーム評:レイトン教授と不思議な町

Layton Nintendo DS レイトン教授と不思議な町

脳トレなどと同様、はっきりとライトユーザー向けを狙った作品。パズルやクイズなどの「なぞ」を解くことでストーリーが展開していくミニゲーム集のようなつくりで、とっつきやすいゲームです。ほのぼのとした雰囲気がなかなかよく、ストーリーも結構いい感じです。

ゲーム中には100個以上の「なぞ」が登場します。論理的思考を要求されるパズルから、頭をやわらかくして考えないと解けないなぞなぞまで、いろいろな種類があり、タッチパネル操作がうまく生かされてます。解けた瞬間すっきりするものから、「オイそりゃねーだろ」と思わされるものまで、問題の質はいろいろですが、ついつい次へ次へと引き込まれてしまう気持ちよさがあります。プレイ時間は10時間程度ですが、ほんの数日でクリアしてしまいました…。

一見、数学の知識が要求されるものもありますが、予備知識なしで解けるように工夫してあって好感度大。問題の構造を読み解く論理力と、頭をやわらかくして意外な方向から考える能力の双方が要求され、なかなか頭の体操になります。自分の頭がずいぶん固くなってることを思い知らされます…

コンセプトがよくまとまっていて、ボリュームもほどよく、十分に満足できるゲームだと思います。非ゲーマー層に強くおすすめします(アフィってないので、ほめ言葉はそのまま受け取ってもらってOK)。

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Debian on 玄箱HGの起動障害とシリアル文字化け

しばらく前から玄箱HGを購入してdebianをインストールし、サーバとして利用していたのですが、最近電源を落とした後、再起動できなくなってしまいました。しばらく起動しようとしている気配がした後、DIAGランプ6回点滅になってしまいます。

マニュアルを見るとランプ6回点滅はHDD異常とのこと。しかし起動時にどこでこけているか全く分からないままHDDを取り出してレスキュー、というのも気分が悪いので、シリアルポートをつけてコンソール出力を見ることにしました。

当初は、あちこちでよく使われている9-KEを半田付けしてシリアルポートにするつもりだったんですが、いっつもマイコンとか触ってる知り合いに「レベル変換しないとか考えられん」と叱られ、レベル変換用のチップの入ったコネクタを作ってもらって接続しました。

とりあえずつないでみる (data8bit, stop1bit, baud 57600bps) と、起動メッセージが出た後、

Running ntpdate to synchronize clock.

と言って止まっているのがわかりました。Ctrl+Cしてやると無事起動。どうやら落とす前に入れていた ntpdate が原因だったことがわかりました。

# apt-get remove ntpdate

で正常に起動するように。ま、代わりに xntpd でも使っときましょ。

起動時の障害は以上で直ったんですが、起動シーケンス中、 klogd か何かが立ち上がった後から、シリアルからの出力が文字化けしまくり、入力もきかなくなる (もちろんloginもできない)問題が生じてました。

せっかくシリアルをつけたのにログインできないのも癪なので、ちょっと調べてみると、以下を試してみよとのこと。

  • /etc/inittab に T0:23:respawn:/sbin/getty -L ttyS0 57600 vt100 を追加
  • /etc/securetty に ttyS0 という行を追加 (ファイルを見てみたら既に書いてあった)
  • /etc/rcS.d/S46setserial を K46setserial に rename、無効化

どれが効いたのかよくわかりませんが、これでシリアルコンソールの文字化けが解決し、ログインも正常にできるようになりました。

シリアルコンソールがないと、 ssh (や、telnet) で繋ぐまで設定の変更もできないので、 IP アドレスを忘れてしまうだけでとんでもないことになる…など、気持ち悪いこと満載だったので、非常に満足ですww

追記: 記事タイトルを修正。なんだよ、degianって…

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